担当というフィルター

担当、というのはフィルターだなと思います。担当するということはフィルターをかけること。少なくとも私の中では。

 

私は平野紫耀くんの担当をしています。今年の夏あたりからずっと、五関さんの担当になるかどうかで悩んでいました。ファンミに行って、ファウストに行って、一旦解決されたかと思ったその問題。えび座に行ったことでまた浮上しました。担当というのはいかに重たいものか。ファンミのあとに友人と6時間ほど電話をして話したこともありました。ひと夏の思い出ですが。

 

結局、五関さんの担当になることはできませんでした。降りる訳ではなく、掛け持ちになるかならないかで悩んでいたのですが、気持ちの上では担当をすることはできないと結論付けました。金銭的には掛け持ちしてることに変わりはないのでCDやDVDやコンサートや舞台にはお金を払ってますが。*1これはけっこう痛いですけどね…お金が貯まらない。でも自分が見たくてお金払ってるだけなのでそれはそれです。

 

タイトルの話に戻りますが、担当とはフィルターをかけることだと思います。フィルター。私は紫耀くんに『私の考えた最強の自担』というフィルターをかけて見ています。それは紫耀くんがテレビや雑誌でする言動だったり、私が実際に現場で見て思ったことだったり、パブリックイメージとは少し違う、私から見た紫耀くんのイメージがフィルターとなって、実際の(生身の)紫耀くんに重なっています。それを通して見ている。私が考えたものだから、フィルターは常に私の理想で、紫耀くんはいつも私の理想のアイドルに見える。

 

紫耀くんのことを好きになったときは、まだ彼のことをよく知らなくて、パブリックイメージである『天然』や『ちょっとおバカ』といったところに目が行っていました。だけど、少しずつ彼を見て知っていくうちに、私の中の「平野紫耀像」が少しずつ変わっていきました。仕事に対する姿勢や、先輩や仲間に対する態度。ただ天然なだけじゃない部分に気が付くうちに、どんどんフィルターができあがっていきました。半年の時間をかけてできあがったフィルターは、つまり私の理想でした。紫耀くんなら、このフィルターをかけてもいいんじゃないか。そう思って私は、紫耀くんをフィルターをかけて見る=担当になることを決めました。

 

『私の考えた最強の自担』は、常に私が見たいと思ったものを見せてくれるし、私がほしいと思った答えをくれます。だって私がそういうフィルター(色眼鏡)で見てるから。理想と違った部分は私のフィルターを修正しておけばいい話なんです。そうすれば私が傷つくことはない。

少し話は逸れますが、私は紫耀くんの提示してくる表現を信頼していて。どんな形(ダンスなり言葉なり演技なり歌なり)でも表現をすることは尊いことだと思うんですけど、紫耀くんの表現は私が想像する以上のものを提示してきてくれます。私が思いもつかないところから、本当に優しくて賢くなければできないような形で表現してくれます。私はそんな紫耀くんの「表現」を信頼してます。もし、生身の「平野紫耀」になにかマイナスイメージになるようなできごと-たとえば熱愛報道だとか-が起こったとしても、紫耀くんの提示してくる「表現」は何も変わりません。だからきっと、裏切られたとか思わないんですよ。だって最初から『私の考えた最強の自担』フィルターに組み込まれていないから。

 

すごくずるいことだと思います。生身そのままを受け取ることを拒否して、勝手に理想を押し付けて見ているから。でもアイドルって『偶像』なんですよ。はじめから想像上のものでしかない。物体(肉体)で代用できないのに像がつくられて崇拝されるものなんです。だからある意味では正しいのかもしれないなと思います。あくまで個人的に、ですが。

それでもフィルターをかけることって、基盤である本人を信頼しているっていう前提がなくちゃできないと思うんですよね。紫耀くんは自分自身で理想とするところのアイドル像を持ってる子だなと思います。そのアイドル像の中で表現をしているというか。私たちの前に現れるときは常に、紫耀くん自身が理想のアイドルを体現してる。私はそんな紫耀くんを信頼しているし、だからこそフィルターをかけることができているんだと思います。

 

ではフィルターをかけることができなかった人、つまり五関さんは私の中でどう位置づけられるのか。もうはっきり明言してしまいますが『リア恋枠』です。リア恋、ではなくてあくまで枠なのがポイントなんですけどって書かれたところでって話ですね。五関さんに関してはもう、出会ってしまった感がすごいので。色々ありましたけど(主にファンミ)あったことを差し引いても、限りなく好きなタイプなんですよ。五関さん「みたいな人」が。見た目も性格(これはパブリックイメージです)も本当に好みなだけなんですよ五関さんが。だからぶっちゃけ一般の方で五関さん「みたいな人」がいれば普通に恋愛感情持ちます。「アイドルとして」の五関さんが好きって気持ちももちろんあって、それはそれで別に持ち合わせてはいるんですが、それよりもリア恋枠であることが勝ってしまうんですね。五関さん「みたいな人」と付き合いたい…どこで出会えますか…

ちなみにフィルターをかけられないと生身の物体そのまま受け取ることになるので良くも悪くもダイレクトに衝撃をくらいます。好きって思ったらそのまま感情受け取ることになって好きすぎて臓器が痛い(物理的なやつ)ってなるし、ちょっとこういうとこ好きじゃない…って思ったら修正がきかないからへこむ。今のところ好きじゃないとこに出会ってないのでずっと臓器痛めてるだけなんですけどね。現場の前後は胃が痛いです。

 

 

とりとめのない話になってしまいましたが、これが私の担当論です。紫耀くんは私にとって理想の、完璧なアイドルです。書いてて思ったんですが彼自身がアイドル像を持っててさらに私がアイドル像を重ねてる(2重になってる)ってちょっと面白いなと思いました。どんだけ分厚い層の下に彼の素の部分があるのか謎すぎる。私は舞台から降りたら1ミリも興味がなくなる(プライベートはどうでもいい)タイプなので素であろうがなかろうがどっちでもいいんですけど、どこに本心を隠しているのかは興味ありますね。言葉にしないからなおさらです。それを探ろうとするのもまた好きでいて楽しいところなんですけどね!お粗末様でした。

*1:それでも紫耀くんがジュニアでCDやDVDを出さない分少ないとは思ってる