心を受けとって愛にした-JOHNNYS’ IsLAND-

優斗くんのことを見ては泣いている。夏もそう、秋もそう。冬も、そうだった。泣いてばかり。

 

泣く、という行為には感情が伴うことが大半であると思うし、多くの理由は「悲しかった」「感動した」だと思う。あとは同情とか、うれし泣きもあるし、怒りで泣ける人もいるでしょう。そのどれもが当てはまらなくて、私はもう優斗くんを見たら条件反射で泣いているのでは?と思う。パブロフの犬

それでもやっぱり、私の心が何かに触れて、ないしは開いて涙に繋がっていると思うので、どこと繋がっているのか解りたいと思う。

 

優斗くんが泣いているのをはじめて見たのがサマステの密着だった。正直、そんなにおじいちゃんと親しいと思っていなかった。人の死を悼んで泣けるって素晴らしいことと思う。私がそうでないので…思い出しながら、ゆっくりと微笑みながら、頬に流れる涙はとってもきれいだった。その時は思わなかったけど、舞台の上で「『Youはもう大丈夫だね』って」と話したとき、優斗くんの心の柔らかいところに触れてしまった気がした。

 

そもそも優斗くんって、ありのままの自分を見てほしいってよく言うし、そういうスタンスでアイドルをしている人で、私は優斗くんを好きになったとき、そういう信念を好きになれるか分からなくて迷った。自分の好きなタイプのアイドルが真逆だからというのが理由だったけど、それだけじゃなかった。ありのままでいる人と向き合うのはしんどい。なにも纏わず、壁をつくらず、自分自身、それだけをもって立っている、そういう人と向き合うには、私自身もそうならざるを得ない。向こうが丸腰なのに、私は鎧でガチガチにかためていたら、不公平だし、そもそも受け取ることができないので。ということはつまり、向こうが100で投げてきた感情を、私も100で受け取ることになって、そんなのしんどいでしょうと思う。思うけど、100で投げてくれた感情を少しも溢さず受け取りたいから、私も丸腰で向き合う。

 

人の死を悼んで泣ける人だから、感受性が強いんだと思った。感受性って調べたら、心の機微に富んでいるって書いてあって、それだなと思ったんだけど。本当に私と真逆で、真逆だから好きだと思う。優斗くんのそういうところ。色んな感情を持っていて、ふり幅が広くて深度が深いのに、それをそのままありのまま差し出す人。帝国劇場って1897席あるみたいなんだけど、1回の公演でそれだけの人に剥き出しの心を差し出しているって思うと、ぞっとする。それができてしまう(しようと思ってそうしているわけではないのだけど)のが、優斗くんという人。私に見えている髙橋優斗くんって、そういう人。

 

ジャニワとかジャニアイで演者のパーソナルな部分を語らせるシーン、今までもあったし、そういうシーンは露悪的だと思っていた。今までそういうシーンはおじいちゃんが作ったものだったし、おじいちゃんが生きていて、舞台上の演者が自身のことを語るから、悪趣味だと思う感情の矛先はおじいちゃんに向けられていた。私はね。でも、今回は故人との思い出を語るシーンだから、表立って紛糾しづらい。それでもやっぱり72公演も別れを思い出させるなんて、悪趣味だと思う。私はね。自分の目で見るまでは、演者が泣いたとか泣かないとかレポが書かれるのも違うだろうと思っていたし、おじいちゃんの遺した舞台だから仕方ないとはいえ必要なのかと思ってた。けど実際見たら、72公演繰り返し思い出すことで、別れを過去にする、訣別するためのシーンなのかなって思えた。繰り返し思い出すこと、繰り返し話すことで、一般的に傷つきやすいと言われる思春期の心の傷にかさぶたを作るような。そんなシーンなのかなぁって。実際もう3週間くらい公演してるからセリフになってる子もたくさんいた。そうやって、もう会えない人との思い出を過去にしていく中で、優斗くんは全く過去になってなかった。別れたのがつい3日前みたいな、そんな話し方だった。

 

今年は優斗くんの心が摩耗していきそうな場面を何度も見た。それでも、なんでもないような、困ったような顔をして笑っている姿を何度も見た。ファンの前でマイナスの感情を言葉にすることはなかったし、というか、言葉にも態度にもせず、どんなに強い風を受けてもしなやかに逆らわず、風が止んだらまた元の位置に立つ、みたいな感じ。伝わらん。折れてしまうんじゃないかって何度か思ったし、これ以上は無理だと思うこともあったけど、そんなことはなくて。

 

たくさんの感情を受け取って、受け止めてきたんだと思う。両親から、先生から、友達から、ジャニーさんから。注がれた感情を全部、溢さないように、逃げずに、受け止めてきたから、きっと器が深い。私は、優斗くんに今まで注がれてきた感情を、優斗くんからあげるねって手渡されて、でも私自身の器の浅さでは受け止めることができなくて、溢れた感情が涙になって出てきてる。そんな気がする。混じりあった感情だから、理由が一言で表せない。私の涙には、悲しいも嬉しいも感動も同情も、全部入ってる。

 

正直、自分の心の柔らかいところを人前に晒していること、無意識に心を摩耗していそうなこと、心配だなぁって、大丈夫かなぁって、思う。壁を作るとか鍵をかけるとか、守ってほしいと思う。でも今までそうやって生きてきてないから、きっとこれからもそうなんだと思う。20年そうやって生きてきたらね。どうか、周りを取り囲む人や物が優しく柔らかくあってほしいと思うことしかできない。そういえば、自分を大事にしてねってよく手紙に書いている気がする。おせっかいおばさんだ。

 

残り1カ月で優斗くんは思い出を過去にするのか、そうでないのか、どうなるのかなぁ。別に過去にする必要があるわけじゃないと思うし、共に進むのもありだと思うので、どっちを選ぶというよりどっちになるのか、見たい。欲望に忠実なので。今年も舞台に立つ優斗くんを見ていられたことが一番楽しかったです。余計なことは書かずに終わる。よいお年をお迎えください。

 

Title:Base Ball Bear『こぼさないでShadow』