「始まった未来」と「始まらなかった未来」に -悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46-

小さい頃から夢がコロコロ変わる子どもだった。お花屋さん、パティシエ、漫画家、獣医、盲導犬の訓練士、漫画家、小説家。保育園の誕生日アルバムも小学校の文集も全部違う夢が書いてあった。

いつしか夢を持つことを辞めた。叶う努力をする前に「叶わない未来」が来るのが怖かった。努力しても叶わないことがあると知ったから。

自分が始まる前からなくした夢を託すようになった。アイドルは決して手の届く場所にいない。私が一方的に知っているだけで、向こうが私に干渉してくることはない。なのにアイドルは私に夢を見せてくれた。私は自分が傷つくことなく夢を見る方法を知った。疑似体験だった。一緒に夢を叶えてる気分になれた。

 私が乃木坂46に出会ったのは「乃木坂ってどこ?」だった。AKB48の公式ライバル。オーディションのポスターをライブハウスで見たことを覚えていた。デビュー曲「ぐるぐるカーテン」のセンターは同い年だった。

はじめて女性アイドルを好きになった。AKBやモーニング娘とは違う、かわいらしさや清純さを前面に押し出したアイドル。ひざ丈のギンガムチェックのワンピースに白いくるぶしソックスは、私が好きになるのに十分な要素だった。

1stライブのZeep Nagoyaではじめて見た彼女たちは可愛くてキラキラしていて、とても同い年の少し前まで同じ一般人だったとは信じられなかった。高校に入って落ちこぼれて友達も全然できなくて、家と学校の往復で塞ぎ込んでいた私とは真逆だった。精一杯のお洒落した服装もすごくダサく感じた。私は彼女たちとは違う。私は物語の登場人物になれなかった側だった。

 

『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』を見て1か所だけ泣いた場面があった。それは若月佑美のプリクラ流出からリクエストアワーでのぐるぐるカーテン初披露だった。ここではっきり「始まった」と思った。彼女たちの未来は「始まって」しまった。一般人から集められた普通の女の子が普通じゃないアイドルになった瞬間。私はその瞬間の目撃者で、そうなれなかった普通の女の子だった。私は選ばなかったから、私の未来は「始まらなかった」。そうはっきりと違いを認識した。

 

私は「始まらなかった未来」ばかり抱え込んで生きている。もしあの時違う選択をしていたら、私の今いる場所は全く違っただろう。普通のーあるいは普通以下のー女の子として、大学に行ってバイトして飲み会に行ったりデートしたりして日常を消費して、来年には就活をして適当な企業に就職して。平凡な日常を平凡な悩みを抱えて生きていく。だって私は、選ばなかったから。夢を見なかったから。

 

アイドルに託した夢は、私を傷つけることなく叶えた気にさせてくれる。アイドルに、特別になれなかった私は、アイドルの特別な物語を目撃する側になる。それはとてもずるくて、とても楽しくて、時につらくてでも毎日が輝く、普通の私が普通じゃなくなった疑似体験をする行為だ。物語は読み手がいなければ意味をなさない。それと同じで、アイドルの特別な物語を目撃する私もまた、必要な読み手であると。そう思って私は私の「始まらなかった未来」を胸に仕舞う。普通の私は普通であるために、特別への憧れを同時に持ち続ける。

 

AKB48の公式ライバルとして売り出された乃木坂46はこの映画が公開された後、最大のライバルが妹グループ欅坂46になるという結成当初とは違ったシナリオを用意された。アイドルの物語は予測しなかった方向に転がる。私は一緒にページを捲りながら、新しい物語を目撃する。読み手という当事者として。

 

Title:school zone / Base Ball Bear

#ジャニオタとコスメ やってみた。

少し前にツイッターで流行ったタグを今さらやってみようの回。ポーチの中身を整理するときに並べてたら楽しくなっちゃったのでアップしてみます。ちなみにデパコスは1つもありません!全部薬局で買えるよ!


中の人のスペック

20歳大学生ジュニア担(地方住み)常に金欠。インナードライで肌は弱い。血色の悪い色白(ブルーベース


ではさっそく写真をドン!


f:id:k-miya63:20160408134007j:plain


マットレスの上で思い立って撮ったからジャポニズムみたい…あとはリップ類が多いですね。


ベース

とりあえず無印の化粧水と乳液を塗ってからビオレの日焼け止めを塗って下地代わりに。ファンデーションは気分と気温によってレブロンのリキッドかファシオのパウダーを使い分けてます。夏場はほぼファシオかな。リキッド使った時はキャンメイクのマシュマロパウダーを上からはたいてます。コンシーラーも一応持ってるけどあんまり使いません。キャンメイクのハイライトは時間があれば塗る程度。


自分の眉毛がかなりしっかりしてるので色だけのせてる感じ。KATEのアイブロウで適当に色を混ぜてます。ノーズシャドウもついてるんだけど朝は余裕がないからほぼ使ってない…


アイメイク

シャドウがキャンメイクしかない(貧乏)なので笑。どっちかを使っていますがピンクorオレンジです。スーツ着る時とかはカラーは使わず3色で茶色っぽくしてます。ピンクがお気に入りで目頭にラメ、目尻にピンク、目の下半分にピンクのせるのがかわいい。

アイライナーはKATEの細く書けるやつ。いつも跳ね上げずに下げて書きます。

マスカラはモテマスカラのピンクだけど個人的に瞼につくからあんまり好きじゃないです…それだけ伸びるってことなんですが。でも美容液入ってるからマツ育にはなってるような(?)ビューラーは資生堂です。


チーク

練りチーク塗ってその上からパウダーを薄く重ねてぼかすことが多いです。

練りチークはキャンメイクとLBでLBは好きなユーチューバーさんが使ってたのでドンキで買いました。色は無難なピンクです。ヴィセのオレンジも持ってたけどあまりにもオレンジメイクが似合わないので妹にあげた…キャンメイクは赤っぽいやつです。

パウダーチークはこれまたキャンメイクロリポップピンクと無印のマットチーク。ロリポップピンクといえば恋コスメで有名ですが今流行りの青みピンクなのでお気に入りです。無印のチークも本当にマットな仕上がりになるから好き。


リップ類

やたらと多いんですがリップ好きなんですね…あと色んなポーチとかポケットに入れてるから何かしら常になくしてる状態になるので笑。その日着てるコートとか持ってるカバンに入ってるやつを使ってます。

リップクリームはメイベリンのやつとDHCの白雪姫。メイベリンは高校生の時に買った気がします。

口紅っぽいのはインテグレートとレブロンエチュードハウスとちふれ。インテグレートは桜リップです。恋コスメレブロンはクレヨンで一時期流行したやつ。エチュードハウスはティントなんだけど色が紫に近いのでそのまま塗るのは不可能です…最近はグラデリップにして唇の半分だけ塗ったりしてます。ちふれは416番でこれは本当におすすめ!血色がよく見えます。

グロス類はマジョマジョが3つとLBとエコネコの。マジョマジョが好きすぎる訳ではなく笑。小さいのと直に塗れるので持ち運びやすいんです。赤いのはおなじみチェリーの口づけ。LBはピンクと透明のが1本で2つ使えるやつ。最近はほぼラメの方しか使ってないですね。エコネコのやつはプレゼントでいただきました。ラメ入りグロス自分では買わないのでキラキラさせたい時に使ってます。



とりあえずこんな感じでメイクしてます。大学生になるまで必要に迫られてこなかったのでメイク自体し始めたのが2年前とかなんですけど、さすがにこの歳でデパコスひとつも持ってないのはあれかなーと思ってはいます…でもコスメカウンター行くの怖いというジレンマ。1回行ったことはあるんですけど、自分のためではなくプレゼント買うためだったのでそういう大義名分がないとなかなか行けないです。オススメのブランドとかあったら教えてください!

次はカバンの中身出しがしたいんですがキキララしか入ってない女児みたいな中身なので笑。近々アップします!

ジャニオタ10年選手に恋人ができた話。

2月の頭に恋人ができた。「理由をつけなくてもいいなら片思い」そう書いていた。ずっと好きだったと言うとあまりにも短い。片思いだったのはせいぜい2ヶ月だったろう。

彼と出会ったのは去年の10月で、その時の印象はほとんどない。所属している団体の同期だけど、私が10月はえび座に通っていたせいでほとんど会議に出られなくて、会うのが最後の同期だったような気がする。顔だちも地味だし、おとなしい人だから、たぶんあの時も挨拶くらいしかしていなかったと思う。

「自分と似てる」と思うまでひと月かかった。私たちのはじめてのイベントを運営するうえでの準備期間。そんなに関わることはなかったけれど、本番当日にふと、あっこの人は私と似ている、と思ったのだった。自分の時間軸の中で生きている感じとか。私と似ていると言うにはあまりにもいい人すぎたけれど。

賢い人が好きだ。それはずっと言っていて、その集団の中で自分がどう振る舞うかの選択をうまくできる人に惹かれる。紫耀くんもそう。自分の求められているポジションを測ることができる。はじめて2人きりで話したのは12月の末だった。2人で頼まれた仕事が早々に終わってしまったから、栄の地下でどら焼きを食べた。そこで話してくれたこれから彼がすべきこととその理由は私が彼に惹かれるきっかけになるのに十分だった。たった3時間で私は彼のことを信頼してしまった。もちろん2ヶ月間の下積みはあったけれど。

その日の日付が変わるまでの間にあったことが私と彼の分岐点だった。私は別の人を振った。好意を受け取れないと選択をした。でもそれが正しかったのか分からなかったから。真っ先に電話をしたのは彼だった。疲れてるはずなのに3時間も電話で話を聞いて、私のよくなかったところを指摘した。そんなことを言ってくる人は今までいなかった。そんなところまで見られてるなんて思いもしなかった。

「他の人が見ていないところまで見ていてくれる」それはとてもずるい。好きになりやすいポイントだと思う。私だけを見ていてくれたんだ、という特別な感覚に浸ることができるから。彼はそういう隙間を無意識に突くのがとても上手い。実際に人のことをよく見ているけれど、それだけではなく。

2人だけで仕事をすることが増えたこともあいまって、私はどんどん彼を好きになった。仕事もしていたけれど、ご飯も何度か行った。それでも、惹かれれば惹かれるほどに「人として好きなだけじゃないか」とか理由をつけてそれから逃げようとした。同じ組織に所属しながら片思いをするなんて不毛なだけだから。情緒不安定なまま1月を過ごした。ちょうどジャニーズワールドの時期で、好きという感情のカテゴライズがぐちゃぐちゃになっていた。紫耀くんを好きな気持ちと五関さんを好きな気持ちと彼を好きな気持ちと、いったい私はどれくらいの好きの種類を持ちながら生きているんだろう。上手く分けることができなかったのだ、あの時は。

2人でオムライスを食べた帰りに私からすごくずるい言葉を発した。「人って関係に名前を付けたがるものじゃない?」そう言うだけ言って、地下鉄に乗って別れた。恋人関係になれないならこんな曖昧な関係はやめたほうがお互いのためだと暗に含ませて、それでも明言は避けて。とてもずるいと思う。私から一言好きだと言ってしまえばそこで、どちらにせよ、終わっていたのに。

2月の頭にまた2人でお茶を飲んで、その別れ際に告白をされた。あんなに私が回りくどい言い方をしたのに、彼はとてもシンプルに告白をしてきた。そこでも私はすぐに応えられなかったのだけど、彼の言葉で結論を出した。それから2ヶ月経って、今に至る。

 

恋は盲目なんて言うけれど、それは本当にそうだと思う。私は今まで紫耀くんと五関さんに片思いしていたんだなぁと思う。本当の恋愛と変わらない。趣味だと言い切っていたけれど、情がある限り趣味で割り切れていないのだ。私は、ふとした瞬間に紫耀くんのことを考えていたし、お金を払って紫耀くんに’会いに行っていた’けれど、それは今全部彼にすり替わっている。ふとした瞬間に彼のことを考えているし、お金を払って彼に会いに行っている。だから相対的に紫耀くんのことを考えることも、お金を払うことも減った。激減した。

これは私が不器用だからなのだけれど、私はどちらかを選ぶことしかできない。どっちも同じだけ同じように好きでいることができないのだ。今現在紫耀くんのファンという立場を満足に続けているかというと、ノーと答えるしかない。前みたいに彼を深く知ろうとか、表現まで理解したいとか、そういうところまでまわせる時間や自分のキャパが足りない。プライベートの部分だけでなく、仕事が忙しくて充実しているというのもあるけれど。それにプラスして紫耀くんは現在決まっている現場が野球大会しかない。クリエもバックの仕事もないのだ。私の熱量が保てないのはそこもある。目に見える機会が少なすぎる。月に2回の少クラや雑誌ではモチベーションを上げられるに至らないのだ。今の私では。

かといって完全にオタクをやめることができないのも私で、この前はSexy Zoneのツアーに行った。これからA.B.C-Zの舞台やコンサートに行く予定もある。それでも恋人ができる前と今とでは圧倒的にモチベーションに差がある。これが今の私の葛藤で、今のところどうするとも言い難い。このままツイッターのアカウントでプライベートまでつぶやくことが良いとは思わないし。どうするべきなのだろう。

10年間ジャニオタしかしていなかったから分からない。迷いながらオタクをやっても楽しくないのだ。もっと趣味のためにファンをやりたい。

すべてのことには理由があるってことだよ

恋愛はゴルフに似ている。初めは力いっぱいボールを飛ばしてゴールへの距離を詰めるのに、ゴールが近づくと少しずつ慎重にボールを転がして穴に入れなければいけない。ゴールの穴から離れたらまたやり直し。そうして距離を詰めていく。

 

理屈抜きで恋をしろ、という方が難しい。一目惚れでもないかぎり。少しずつ相手を知っていくなかでこういうところが好きだとか、いいところだとかを見つけて、ちょっとずつちょっとずつ好きを募らせていく。そうしていたら私の気持ちが恋なのかそうでないのか分からなくなってしまった。人として好きなだけじゃないのか、恋愛感情をもつ必要なんてないのではないか、そんなことばかり考えている。

 

他人というのは無責任なもので、友情と恋愛の違いなんていうどこかのアイドルが歌っていたような話を振っても回答は千差万別で適当だ。手を繋ぎたいと思ったら恋愛。理由のない好きなら恋愛。そのくせ男女間の恋愛は成立するのか?と尋ねると決まってNOと答える。ならこの曖昧な、友情でも恋愛でもビジネスライクでもない関係はなんだろう。

 

彼氏にしたいと彼女になりたいは同じ恋愛関係を望んでいるという意味なのに捉え方が違うなと思った。彼氏にしたいから溢れる所有物感。相手は別に装飾品ではない。彼女になりたいから溢れるヒロイン感。私は別にお姫様になりたいわけではない。ただ一番近い場所にいるために恋愛関係になる必要があるなら私はその選択肢を選ぶしかない。それだけ。一緒にご飯を食べに行きたいし、夜が明けるまでくだらない電話をしていたい。恋人でなければ許されないならばその関係を選ぶしかないのだ。特別な関係でなければ許されないのであれば。それでもワガママは尽きないもので、私じゃない誰かとそんな関係になるくらいなら私を恋人にして傍に置いておいてほしいと思っている。自分でも意味が分からない。

 

自担のことは理屈抜きで好きだ。昨日ジャニーズワールドを観た。出てきた瞬間からもう好きだと思った。ジャニワは何度も見ているしそうでなくても1日に何度も見る顔なのに。どれだけ舞台上でふざけていることに失望しても、ひとたび彼が躍り出せばそんなことはどうでもいいなとすら思える。顔が好き、声が好き、身体が好き、表情が好き。でも1番好きなのは表現だと思う。彼がする表現が好きだ。芯は力強いのに与える印象は柔らかくて優しい。本当に彼自身そのものが表現にも表れているなと思う。それが好きでたまらなくて、私はずっと彼しか見れていない。でもそんな表現がどうなんてことは理屈でしかなくて、そんなこねまわしたものなんてなくてももう私は彼が、紫耀くんが好きだと思う。呼吸するように当たり前に。好きでいることが当たり前なのだ。

 

紫耀くんに向ける好きはあくまで私の一方通行でしかなくて、永遠に向こうが返してくれることもなければ受け止めることもなく、私はその関係が心地よくて今もこうしているのだけれど、現実的ではない。頭でっかちになって理屈をこねてしまうのは私の悪い癖だ。きっとそんなこと考える必要がなければとっくに私は恋をしている。認めている。自分の中の感情がなんなのか、理由なしにラベルを貼ることができないから誰かに貼ってほしいと思うんだろう。それは恋ですよ、なんて明言してくれる医者みたいな人がいればいいのに。恋愛関係になる必要を感じないから感情を恋だと認めないなんて卵が先か鶏が先かみたいな話でしかない。

 

理由をつけなくてもいいなら恋をしている。

 

Title:あらかじめ語られるロマンス/乃木坂46

どこかで待ち続けている僕らの未来

喧噪に包まれる劇場に柔らかいベルの音が鳴る。決して騒がしくはなく、それでいて浮足立ったようなざわめきはその音によって水を打ったように引いていく。開演5分前のベルが幕が上がるまでのカウントダウンのはじまりだ。

 

新幹線の改札口からまっすぐ歩くと5番ホームが山手線左回りのホームへ繋がっている。目的地は一つとなりの駅。電車を降りると都会らしいあわただしさが私を迎える。ここがホームになることはきっと永遠にない。そんな予感めいたものを抱きながら足早に冬の有楽町を歩いた。閑静なオフィス街の隅にある築105年の劇場前はいかにも分かりやすくおしゃれをした若い女の子たちで賑わっている。赤く毛足の長い絨毯を踏み中へ歩を進めるとその扉の向こうは見えない虚構の壁で仕切られた別世界になる。

 

冬に見た君は知らない顔をして宙を舞っていた。

 

高速バスの1列目の環境が劣悪だと知ったのは3月の最終土曜日だった。足も延ばせない上にいくつもの停留所に停車するものだからいつまでたってもたどり着かないような気持ちになる。高速バスと市営バスと地下鉄を乗り継いでようやくたどり着いたホールの最後列で遠さに軽くショックを受けたのだった。客電が落ちるとセンターステージに白い幕が下ろされた。

 

春の君は1人で何かを背負って勝つために歌っていた。

 

夏の異常気象は私の頭をおかしくさせる。気温のせいではないことくらい分かっていたけれど。残業続きのバイトを普段ならあり得ない速さでこなして、自転車の籠にスーツケースを押し込むと終電めがけて駅まで猛スピードで駆け抜けた。疲れ果てて目が覚めると夜中の余韻が抜けきらない気だるげな新宿で、まだはっきりしない意識の中ハンバーガーショップで日が昇るのを待った。一年前は迷いに迷った六本木も通いつめればもう目的地までは迷うことがない。ユニットの名前が入ったグッズはこの公演が特別なものだと知らしめるのに十分だった。

 

夏の君は新しい環境で変わらないように振る舞っていた。

 

デビューへのカウントダウン。私が今年肌で感じたものは間違いなくそれだった。春先に与えられた新曲はゴールデンウィークには完成していたし、当日券の記録を塗り替えた公演は目に見える形で需要を示した。夏の公演はどこまでできるか試される場であっただろうし、スポンサーにも数字を還元することができた。東京ドームでアウェイの中歌ったあの日のオールスターゲームは前例のない大仕事で、未完成な彼らができる最高のパフォーマンスだった。

 

でも、デビューが決まることはなかった。

 

ジャニーズジュニアにとってデビューは一つのゴールでスタートラインだと思う。ほんの一握りが手に入れられる絶対的な権利と地位。それがデビューだ。これほど試されるのか、と時に残酷さすら感じるほどの仕事を与えられていたのに彼らが、彼がデビューすることはなかった。カウントダウンなんて、0の瞬間がなければどれだけ数えても意味がない。0になってはじまって初めて意味を成す行為だ。だから、私の感じたものは間違ってはいなくても意味はなかった。0にたどり着く前に霧散してなくなったのだから。高揚感だけを残して。

 

2015年、平野紫耀くんを一番に見ながら過ごしたことに何の後悔もない。大きな怪我も病気もなく一年を終えられるであろうことに感謝をしながら、それでも少しの恨みを残して私は2016年を迎える。公演中の舞台では出演順は3番手。ジュニア内では1番手。そんな中途半端な立場のまま年を越してしまうことが嫌だ。2015年の8月20日がターニングポイントだったと、きっと担当をする限りは忘れないのだろう。それでも諦めずに止めることなく舞台に立ち続けてくれる彼に、1年の感謝と少しの罪悪感を抱いて今年を終えよう。

今もまだカウントダウンは続いているのかもしれない。いつかくる0の瞬間に立ち会うために、私はこうして。その瞬間に滲んだ私の視界から光が差すのを、あなたなら見せてくれるでしょう?なんて。いつか、を共に迎えられますように。1年間ありがとう。

 

Title:ナミダあふれても/SISTER JET

 

ichigonokimi.hatenablog.jp

ジャニヲタ文芸部2回目に参加させていただきました!お題がカウントダウンということで、キンプリを追いかけた当事者が書くべきことはこれかなと笑。いやでも本当に夏はデビューへのカウントダウンだと信じて疑ってませんでしたからね…来年こそ0の瞬間を迎えたいです。社長頼むよ本当に…!!

タイトルは世界で一番好きなバンドの大好きで大切な曲です。

SISTER JET ナミダあふれても MV - YouTube

目の前に広がる僕らのための景色

ジャニーズワールド見てきました。

 

すごい楽しかったです。いやだって、紫耀くんめっちゃ出てるし。出番も見せ場もたくさんあってほとんど双眼鏡が手放せなかったです。B席だったのもありますが。

 

でも紫耀くんとか五関さんが出てたから楽しかっただけじゃなくて、1年に1回こういう祭典みたいな演目を観るのもいいものだなって。何かよく分かんないけどすごい…!!みたいなのって日常を過ごしてたら出逢わないじゃないですか。ジャニワってそれだと思うんですよね。次から次へとトンチキな演出が襲ってくるからなんだこれは??ってなるんですけど、その華と勢いだけはある演出をかっこいい男の子の集団がやってくれるっていう。文字にしたらそれのどこがいいのか自分でも分からないんですけど笑。観ていて楽しいですね。よく分かんないけどすごい…!!ってずっと思えるから。

 

ストーリーはあってないようなものですが普通にさらっと追ってたら途中で分かんなくなりますね。メモずっととってて(セリフもほぼメモ取ってました)あとで1時間ぐらいかけてメモをさらにまとめるメモを作ってはじめて分かりました。個人的にジャニワのストーリーなんて理解できないと思ってたんですけど、案外できます。文字びっしりの講義より内容のあるメモができたのでまたそれはまとめてここに書きますね。

 

紫耀くんはとにかく出番や見せ場が多くて、やっぱり3番手に名前が挙がっているだけあるなぁという感じでした。歌(ソロ)やダンスやセリフ、この夏身に着けたローラーとサックス、そして今回初披露のバトン。あとはフライングが去年より多く種類も増えてたので、そういう目に見えるものもそうだし、あとは表情ですね。新春ジャニワの龍退治を見たときにあっ知らない顔してるなって思ったんですけど、今回もまた知らない表情をしてるときがありました。彼が16歳の頃から見ているので少年が青年になる過程の真っただ中を追っている自覚はあるのですが、最近はちょこちょこ大人の男性の顔をするようになってきてて。すごいかっこいいんですよ。少年特有の儚さから少し抜け出て、精悍さを感じることが多くなりました。ずっと眉間に皺を寄せるのがあんまり好きじゃなくて直してくれないかなと思ってたんですけど笑。それが様になるようになったのが本当に大人になってきてるなと感じるところです。でも中身は子どもですねまだ。どこが子どもって集中力が切れちゃうところなんですけどまぁそれはちょっとツイートしたのでここでは割愛します。

 

1幕の冒頭でソロダンスをするシーンがあるんですが、バレエのようなダンスでそれを今までみたことがなかったのですごく新鮮でびっくりしました。そんなダンスもできるの?!っていう。彼が幼少期からダンスを習っていたことは知ってますがヒップホップだと言っていたので、バレエみたいなこともできるんだなぁと。なんか異常に体幹しっかりしてそうなんで意外とできちゃうものなのかもしれませんが。ダンスには明るくないので憶測ですみません。

衣装がタンクトップに白いシャツを羽織っただけのシンプルなもので、動くたびにシャツの裾が風をはらんで揺れるのがすごく綺麗でした。紫耀くんのダンスってすごく重量感があって、例えるなら重力を操っているように見えるんですけど、個人的にバレエのダンスは軽やかなものだと思ってて。真逆じゃないですか。でもちゃんと紫耀くんのダンスの重量感もありながら床を蹴る足はすごく軽くて。なんだろう。本当に見たことないものだったのでただびっくりしました。本当に何でもできてしまう人、ですね。できないことなんて何もないんですよねきっと。スーパーマンだなぁ。

 

紫耀くんは何でもさらっとこなしてるように見せるのが上手だと思うんですよ。実際何でもさらっとできちゃうんですけど。でもバレエみたいなダンスだってバトンだってすごくたくさん練習してると思うんですよね。人並みかそれ以上に仕上げるのがとても早くて、多分それは物事の本質というか、いわば型とか所作を見つけてそれを体得するのが早いからだと思うんですよ。それは紫耀くんが持ってる才能だしセンスだし、他の人にできないことだからすごいことだと思うんですけど。とっても器用ですよねだから。器用に見えちゃうし。でもなんかそれが、本人の負荷になってないかなぁってちょっと思うところでもあって。なんでもできちゃうからこそ、あれこれやってって言われそうだし自分にもできることを課しちゃってないかなぁって。そんなこと重たいオタクのおせっかいでしかないんですけど。

ただ私も、なんでもできちゃう紫耀くんが好きっていう部分が少なからずあるから、それが彼にとって負荷になってないかなって思うんですよ。というより私にそういう後ろめたさがあるからこんなことを思うんでしょうね。なんでもできる彼が好きな反面、それを課してしまっていることに後ろめたさを感じてる。二律背反みたいな。

もっと弱みを見せてほしいって思うことがあります。でも見せないし言わないし、ずっとなんでもできるままでいてくれる。できないことがない。紫耀くんにとってそれが舞台に立つ、アイドルでいる美学なのかもしれない。できないことを見せないようにしたり、不安がらせるようなことを言わないようにするのが。でも紫耀くんはアンドロイドじゃなくて血の通った人間なんだから。アイドルである以前に。もう少し観客-というかファンに心を開いてくれてもいいのに。なんてただのオタクのワガママでしかないですね。

 

ジャニワの感想を書くつもりでいたら話がとてもずれてしまいました。

 

見どころはたくさんあるんですけど、最後のHiHi JETで帝劇の0番に立つ姿が一番見てほしいかなぁって思います。紫耀くんのファンだけじゃなくて。本当に最前列の0番に立つ瞬間があるんですよ何度か。えっいいの?!って感じなんですけど。座長でもないしデビューもしてないのに。最後の曲で0番ですからね。舞台の締めなのに。いいのかなぁって思うんですけど、でもやっぱり嬉しいしなにより似合うんですねそこが。0番に立つのが似合うんですよ。もう何もかも背負ってそこに立っててほしい。紫耀くんがアイドルとして、舞台に立つ人として頂点に君臨するのが見たいんですよ私は。その夢が瞬間的にですけど叶っちゃいますからね…でもたぶん、文句なしに立ててると思うんですよ。だからこそ見てほしくていろんな人に。自担かっこいいでしょ?!って言いたいし言える瞬間なので。紫耀くんの担当をしててよかったなぁって思う瞬間です。もちろん今後は名実ともに0番に立っていてほしいという願望もありますが、今は本当に充分それで。

 

ちょっと自分の通信環境とか心身とかが不調であれなんですけどカウコンまでにジャニワのまとめは書きますね。余裕があれば紫耀くんの出番だけまとめて感想も書きたいけどそれは2回目の観劇後になるかもしれないです。*1カウコンも実録レポみたいなものは選ばれた身として書きたいと思っているのでその辺は!オタ活もがんばるよ!!みたいなテンションでいきます。やれるやれる。実際オタクやってないと仕事やってられんみたいなとこあるので楽しむことはとことん楽しんで、また見返したときにあの時楽しかったなーって思える環境を自分で作っておきたいです。

 

Title:クライマー/Galileo Galilei

*1:2回目も年明けすぐというアレ

今の僕ならもっとうまく向き合えるのに

1か月ぶりに動いてる自担を見た気がする。

毎日が走馬燈のよう、とは何かの歌詞だったか忘れてしまったけれど、本当にそうで。目が覚めて瞬きをしてもう1度目を閉じたら1日が終わっている。こたつで帰宅したままの格好で目が覚めて、慌ててシャワーを浴びて学校へ行く準備をして電車に飛び乗って、時には電車の中でもパソコンを開いているしスーツを着ている日もある。授業はだいたい15分は遅刻して出席するし、寝てることも多い。お昼休みはご飯を食べてすぐパソコンを開いて、また午後の授業に出てLINEで連絡を取り合って、学校が終わったら人と会ってるかバイトしてるか。日付の変わるぎりぎりに帰宅してLINEをしてメールのチェックをしたらこたつで寝転んで目をつぶったら朝。×5日。残りの2日は学校がない分昼間からスーツを着て栄に行って夜はバイトでまた夜は同じ。

大変そうだねとか頑張ってるねとか偉いねとか、そんなことが言われたくてやっているわけじゃない。し、この生活を毎日続けているんだから褒められたものではない。親にも怒られるし、周りにいる人にも普通の大学生以上を求められるから厳しいことを言われる。当たり前だ。でも選んだのは私だ。

オタクなんて自分に余裕がなければやっていられないなと思う。それでもオタクをやりながらじゃなければこんな生活していられない。バイトと違ってお給料がもらえるわけじゃないし、ボランティアじゃないからすぐに社会の役に立つわけではない。なんのためにやってるかって私のためで、自己満足だけど、そんなことすぐに忘れてしまう。そんなときにホーム画面に設定している自担のくしゃっと笑う写真を見ると、私なんてただのオタクだ!と再認識できる。その辺に転がってるオタクでしかない。私は私のためにこの生活に身を投じているし、私のためにオタクをやっている。

久しぶりに紫耀くんが歌って踊って笑っているのを見たらどうしようもなく好きだなと思った。メドレーでキラキラ歌って踊る姿は本当にアイドルらしい完璧なアイドルですごくかわいいなぁと思ったし、ブログで適当な記憶力を発揮している紫耀くんは相変わらずで、交差点の紫耀くんは表現として歌とダンスを選んだ人そのもので。交差点、すごくよかった。まだ髪を染める前のLovelessとかは触れたら消えてしまいそうな儚さと少年特有の色気が滲んでいてすごく好きだったけど、交差点もそれに近いものを感じた。どんどん顔が、身体が大人になっていく紫耀くん。もうすぐそんなことも感じなくなるかもしれない。今の瞬間にしか生まれないパフォーマンスだった。どこかにいってしまいそうなのは、すこし不安になるけど彼の持つ不思議な魅力だなと思う。さみしい人。そう見える。そう見たいのだ、私が。

毎日がそんな感じで過ぎていくから雑誌も把握できてないしどこがどこの情報とつながってるのかも分からないし、カウコンも重複申し込みなるよってさっきお友達に教えてもらうまで知らなかったくらい情弱になってて。もう笑えないんだけど…自分の手元にあるジャニワのチケットくらいしか今はオタクやってる実感がない。初日を迎えてもきっとレポは追いきれないから、私の初日までこんな感じで忙しぶっていようと思う。

褒められたものではないし、なんでやってるのかって自分のためでしかなくて、私は私のためにしか生きることができない。毎日仕事(みたいなこと)に追われているし、毎日人間関係で悩んでるし、毎日ありえないほど頭を使っている。それでも全然追いつかない。自分を高めたいとか自分がどうなりたいとかそんなことはどうでもいいけど、それでも今がすごく楽しい。毎日生きてる感じがする。顔は死んでるけど。やることがあればあるだけ、自分の時間がなくなればなくなるほど、楽しい。合間の時間にツイッターしたり少クラ観たりして、何日か先の現場に想いを馳せてがんばろうと思って。そういう生活をしている今が楽しいし幸せだし、たぶん充実してる。それでも日々の生活の、例えばロック画面の中に紫耀くんがいることですごく救われていて。自分のためにやってるのに精神的にズタボロになるから笑。深く考えたりすることはできないけど、ふとした瞬間に好きだな、と思ったりかわいいな、と思うことがささやかに幸せ。紫耀くんのことが好きな私も、ずっと同時進行に存在しているから。

オタクとして紫耀くんに向き合うのならきっと2か月前のほうがうまくできていたけど、これだけ時間や精神に余裕がなくてもちょっとずつの好きとはうまく向き合えてる気がする。俗にいうゆるいファンとはまた違うけど、こんな好きの質量でも許してね。ジャニワ楽しみにしてます。

 

Title:交差点/中山優馬